. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第162講
■ 今日の「井戸掘り」
「人々が私に『さあ、主の家に行こう』と言ったとき、私は喜んだ。」 詩篇122:1〜9
■ 井戸を掘りましょう:
礼拝に誘われたとき、私たちはどのような反応を示すでしょうか。ある人は「え? 教会にいくの。とんでもない」と拒絶反応を示します。ある人は「私なんかが行っていいのですか」と躊躇を表明します。
この詩篇の作者は、教会での礼拝に誘われたのでありませんが、イスラエルの民の神殿での礼拝への誘いを受けたのです。勿論、成人したユダヤ人にとっては、年3回の祭りへの参加は、国民としての義務でした。
昔から、恐らく、義務なので、嫌々ながらでも神殿に詣でた人々もいたことでしょう。しかし、この詩篇の作者は「さあ、主の家に行こう」と招かれた時、喜んだのです。彼にとっては、神殿で主への礼拝を捧げることは、単なる義務ではなく、心からの営みだったのです。
神殿に行って、間近に主の臨在に触れ、その実声を聞くことができることは、この作者にとって至上の喜びでした。