. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第163講
■ 今日の「井戸掘り」

 「ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。」              詩篇123:1〜4 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   奴隷は、主人からの指示を待って、その手に目を向けています。同様に、イスラエルの信仰者たちは、主である神からの指示を待って、その手に目を向けるのです。

   私たちの人生は、自分のやりたい放題をするためのものではなく、私たちを、目的を持って創造された神のためのものです。かって放題に生きることは許されません。私たちにとって、先ず大切なのは、主が何を望んでおられるかと言うことを知ることです。

   私たちは、意味なくして創造され、いのちを賦与されたのではありません。私たちを通して、この世にあって、みわざを行おうとされているのです。私たちは、その管なのです。

   このようない考えますと、人生における試練・苦難の意味もわかってきます。自己中心的に考えるなら、ただ辛い、苦しい、嫌だ、、、で終わってしまいますでしょう。しかし、目的をもっておられる神中心に考えると、そこに苦難の崇高な目的・意味が浮き上がってきます。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる