. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第167講
■ 今日の「井戸掘り」
「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」 詩篇127:1〜5
■ 井戸を掘りましょう:
この句は、人間的努力とそれを越えた神の恵みの干渉について教えています。この詩篇の作者は人間的な努力をむなしいものとは考えていません。それは必要不可欠なものです。しかし、それだけでは人生の安全・成功には不十分なのです。それに加えて、主の恵みの干渉が必要です。
ある人は、主の恵みの干渉さえあれば十分と考えますが、それは偏った考え方です。聖書は決して、そのように教えていません。神に似せて創造された人には、神から与えられた分があります。救いのみわざにおいても同様で、救いそのものは神からくるもので、それを捕らえる信仰も神の賜物です。<
しかし、人の側で、与えられたその恵みを自分のものとしようとしないなら、救いは決してその人の体験的事実とはなりません。それが、賜物として与えられた信仰を働かすということです。この働かすというわざは、神がなすのではなく、人に委ねられているのです。