. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第168講
■ 今日の「井戸掘り」
「幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語るときにも、恥を見ることがない。」 詩篇127:1〜5A
■ 井戸を掘りましょう:
その前の節を見ると「若いときの子らは、まさに勇士の手にある矢のようだ」とあります。それですから、矢筒に満ちた矢は、子どもたちの象徴です。子たちは、親の手から飛び立っていって、敵を打ち破るすべなのです。
人生における一つの敵は、孤独感でしょう。なんと多くの人々が、この孤独感に襲われて、人生を淋しい、やるせないものにしてしまっていることでしょうか。しかし、主にあって育てられた子らは、年老いた親と共にあって、その慰めとなります。孤独と言う敵が忍び寄る時、そのてきを破る勇士の手にある矢となります。
「見よ。子どもたちは主の賜物。胎の実は報酬」なのです。最近、親が子どもを虐待したり、殺してしまう犯罪のニュースを耳にしますが、子どもを単なる厄介者と考えることは間違いです。子どもは、昔から言われるように宝なのです。