. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第170講
■ 今日の「井戸掘り」
「シオンを憎む者はみな、恥を受け、退け。彼らは伸びないうちに枯れる屋根の草のようになれ。」 詩篇129:1〜8
■ 井戸を掘りましょう:
呪いの詩篇といわれる範疇の詩篇が、しばしば問題にされます。信仰者が、敵を憎む、呪うのは、信仰者に相応しくない態度だというのです。
J・ウエスレーは、その祈りの中で、彼の敵対する者に対して激しいことばを使って批判されたとき「相手に対して、そのような激しいことばを投げつけたなら、問題だろうが、神への祈りの中では、それを許される」と応えたと伝えられています。
この詩篇も、人へのことばではなく、神への祈りのことばなのです。そして、神への祈りの場合は、心にあるそのままの感情を吐露しても差し支えありません。むしろ、そうすることが真実な祈りであり、神の御前に隠し立てする必要はないのです。
神に祈っていること自体、事を神の御手に委ねることであって、自分の手から復讐を手離すことです。これこそが、信仰者として、その敵に対して取るべき態度なのです。自ら報復せずに、神の裁きに自らの敵を委ねる姿勢です。<