. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第22講
■ 今日の「井戸掘り」

    「主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。」             詩篇33:1〜22D 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この詩篇の締め括りのことばは、祈りのことばです。「主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。」いつ、神の恵みを期待できるのでしょうか。それは「私たちがあなたを待ち望んだときに」です。

   「待ち望む」姿勢は、「依り頼む」態度と共に、信仰者の、神への基本的な姿勢です。信仰者は、信じるがゆえに、神を待ち望みます。待ち望むとは、期待のこもった姿勢です。また、忍耐の伴った態度です。

   ここに「あなたを待ち望む」であることに注目しましょう。待ち望むものは「あなた」と呼びかけられている神ご自身であって、必ずしも、神からの応答ではないのです。もし、神からの応答を、期待をもって待ち望んだとしたら、あるいは、その結果は失望に終わることがあるかも知れません。しかし、神ご自身を待ち望む時、その待望の姿勢は、決して失望に終わることがないのです。

   神が、ご自身がいかなる者であるかを、待ち望む者たちに示してくださる時、信仰者の心は満ちたります。そして、その信仰は、神にあって安息するのです。自分の心の願望、時として、ことばに表明した願いが、あるいは、その通りに応えられず、思い通りに実現しなかったとしても、神ご自身を「待ち望み」、神の顕現に触れて、主を知った信仰者は、それ以上を求めません。神ご自身の啓示こそが、すべてのすべてなのです。このような人は、神にあって満ち足りるのです。

   

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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