. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第23講
■ 今日の「井戸掘り」

    「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。私のたましいは、生ける神を求めて渇いています。」             詩篇42:1〜11 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ダビデについで、多くの詩篇を書き表しているのが、この詩篇第42篇の作者、コラの子たちです。ダビデの下にあって、神殿聖歌隊の奉仕をしていた人々でした。

   「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、、、」で始まる第42篇、人の心にある根源的な渇きについて詠っています。その根源的な渇きとは、生きた神を求めあえぐ心の、たましいの渇きです。

   人は、肉体において、水に渇くように、また、頭において、知識に渇くように、そのたましいにおいて、創造主である神に渇きます。「渇き」とは、それが満たされるまで、そして、癒されるまで、止むことのない渇望の想いです。アウグスチヌスが書いたように「人は、神を見出すまで、決して満足することはありません。」

   多くの人々は、その心にある渇きがそのような渇きであることに気づかないで、神以外の何かを求めて、それで心を満たそうとしています。しかし、それはむなしい努力です。なぜなら、人は、そのようには創造されておらず、主である神の臨在によってのみ、心に平安・満足を見出すように、造られているのです。

   「神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」

   

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる