. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第25講
■ 今日の「井戸掘り」

    「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。」             詩篇42:1〜11B 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   作者の、この節のようなことばを見出すとき、新改訳聖書が第3版で、翻訳者が「絶望しています」を「うなたれています」に改めたのも十分頷けることです。この節からは、信仰の響きが伝わってきます。決して失望しきってはいません。

   日本の詩歌の形式は、和歌が三十一文字、俳句・川柳が十七文字と、文字の数によって成り立っています。英語の詩は、韻を踏むことでしょうか。ヘブル人の詩歌は、この詩篇にも見るように「平行法」が用いられていて、一行目と2行目がペアになって一つの思想を伝える形式を取っています。「昼と夜」、「恵みと歌」といった具合です。

   さて「昼には、主が恵みを施し、夜には」、その施された恵みに応えて、主への讃歌を歌うのです。「その歌が私とともにあります。」信仰生涯は、このように双方向です。異教徒の祈りのように、決して、一方通行ではありません。

   神が「私のいのち」として表現されていることに注目しなければならないでしょう。創造主である神は、詩聖にいのちを与え、それを支えるお方であるだけではなく、詩聖にとって「いのち」そのものなのです。しかし、このステートメントは真実を語っていて、私たちにとってもそうではないでしょうか。

   

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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