. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第27講
■ 今日の「井戸掘り」
「あなたはわたしの力の神であられるからです。なぜあなたは私を拒まれたのですか。」 詩篇43:1〜5
■ 井戸を掘りましょう:
第43篇は、42篇とペアになっています。この二つの詩篇に見られる神に関する表現、神への呼び掛けのことばは、何と豊富なことでしょうか。「生ける神(42:2)」、「私のいのち(42:8)」、「わが巌の神(42:9)」、「私の救い(42:11)」、「私の力の神(43:2)」、「私の最も喜びとする神(43:4)」、再び「私の救い(43:5)」などです。
これらの表現・呼びかけは、この詩篇の作者の主である神との交わりが如何に密であるかを物語っています。作者は、彼の神を様々に描写できるほどにその神を知っていたと言うことです。
それに比して、私たちの神に関する表現は何と貧弱でしょうか。間違ったことではありませんが、祈りの冒頭に「天の父なる神さま」と呼び掛けて、それで終わりです。あとは、祈りの途中に「主よ」という語を、時に、無意識にはさむ程度でしょうか。
最後に、以前にも言及しましたが「私の神」という表現に目を留めましょう。神を「私の、、、」と言えるほどに、神と密な関係を保っているのです。主が「力の神」であり、「救いの神」であっても、それが「私の神」でなければ、私には、何の意味もありません。「私の神」、しかし、それ以上に、神は、この詩篇の作者にとって「私の最も喜びとする神」なのです。