. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第28講
■ 今日の「井戸掘り」

    「こうして、私は神の祭壇、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめうたいましょう。神よ。私の神よ。」                   詩篇43:1〜5A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   詩篇第42篇には「喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを」と神殿・神の臨在の場所に詣でて、神にまみえた時の喜びの思い出が言及されています。

   この詩篇では、神に導かれて、聖なる山、すなわち、シオンの山、神殿が建てられているところに行って、「最も喜びとする神」にまみえることを祈り求めています。そして、それを確信しているのです。

   創造主である神は、神学の用語では「偏在」といって、この宇宙のすべてに満ち満ちて、どこにでも居られる神です。しかし、礼拝者にとって、その神に見える特定の場所を持つということは、大変幸いなことです。旧約の時代には、それが神殿でした。神がその御名を置かれると約束された場所、信仰者にとっては、そこは祈りの場所でした。

   新約時代では、ユダヤ教ではなくキリスト教の時代になって、そのような場所はキリスト教会に取って代わられました。教会堂こそが神の臨在の場所であり、礼拝の場なのです。しかし、それとともに、それぞれの家庭にも、しばしば「密室」と言う表現が当てられますが、個人的に神の御前に出て、神と交わる場所、祈りを捧げる場所を確保している人は幸いです。

   「神の偏在」は、神のご性質を理解するためには大切な神学的概念ですが、ディボーションの実践のためには、密かな祈りの場所を持つことが大切なのです。

   

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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