このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
■ 今日の「井戸掘り」
「神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。」 詩篇44:1〜26
■ 井戸を掘りましょう:
信仰の子たちが耳にしたことは、彼らの父祖たちが得た「信仰の勝利」の証しでした。父祖たちが「国々を追い払い」、「地を得」、救いを得たのは、先祖たちが強かったからではありませんでした。それらのことは、すべて神の御手のわざによるものでした。「あなたの右の手、あなたの腕」、さらに「あなたの御顔の光」がそうしたのでした。
イスラエルの子らは、カナン人から比べれば、弱小民族であって、カナン人に飲み込まれてしまって、ヘブル人としてのアイデンティティーを失っても不思議ではなかったのです。しかし、イスラエルのこらは、彼らの父祖の「信仰の勝利」の証しを耳にしたのです。
そして、それは、彼ら、すなわち、イスラエルの子らの父祖たちを「神が愛されたから」に他なりませんでした。創造主であり、歴史の支配者である主が、アブラハムの子孫に特別な思いを寄せられたのでした。その思いとは、朽ちない慈しみ、永遠の愛だったのです。
イスラエルの子らは、それを知っていたのです。先祖たちが、証しとして子らに語り継げた事柄だったからです。
私たちは、神の御業を身をもって体験するだけでなく、その体験を、親しい自分の子たちに証ししておくことが大切です。耳にしたことを、彼らが直ぐに心に留めることがなくても、親が語り継げたことは、いつか、子たちの心の中で芽生えてくるからです。「私たちは、この耳で」、親が「語ってくれたことを聞きました」と言うときが必ず来ます。