. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第31講
■ 今日の「井戸掘り」

    「あなたは私たちを、隣人のそしりとし、周りの者のあざけりとし、笑いぐさとされます。あなたは私たちを国々の中で物笑いの種とし、民の中で笑い者にされるのです。」                   詩篇44:1〜26B 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   信仰の証しが立つどころか、信仰が人々の物笑いになっている状態、それを味わった時の信仰者の苦悩がこの分節のテーマです。敵に敗北を喫し、略奪され、祖国を追われている状態です。

   しかも、それらのことが、神が彼らを卑しめた結果として生じていることを、彼らは自覚しているのです。「そしり」、「あざけり」、「物笑い」、「はづかしめ」、「恥」といった語が次から次へと書き綴られています。

   しかし、これらのことの中にあっても、その作者は「私たちはあなたを忘れませんでした」と信仰を表明します。現状は、神が恰も彼らを忘れたかのような状態です。しかし、彼らは、神を忘れてはいません。神との「契約を無に」することはなく、その心はたじろぎませんでした。また、彼らの歩みは、神の道から逸れることはなかったのです。

   しかし神は、彼らを「砕かれ」ました。そして「死の陰で」彼らを覆ったのです。ここに彼らの苦悩があります。そうした苦悩の中から、次の分節に見るように、この詩篇の作者は「信仰の嘆願」を神の御前に吐露します。

   

高知県・越知町の大樽の滝


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