. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第38講
■ 今日の「井戸掘り」
「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。」 詩篇46:1〜11A
■ 井戸を掘りましょう:
ダビデの王国の首都は、エルサレムでした。エルサレムはシオンの山上にあって、川は流れていません。しかし、この詩篇には「川がある。その流れは、、、」と詠われているのです。
とすれば、詩篇の作者が言及している、この川は、霊的な流れのことです。後に預言者エゼキエルは、この川の幻を見て「この川が流れてゆく所はどこにでも、そこに群がるあらゆる生き物は生き、非常に多くの魚がいるようになる」と語りました(エゼキエル47章)。それですから「その流れは、、、神の都を喜ばせる」のです。
詩篇46篇には、何回も「神がともにおられる」とのことが繰り返し語られています(7、11節、また、1節と5節を参照)。この川は、エゼキエルの幻によると、神の臨在の象徴である「神殿の敷居の下から、、、流れ出」していました。これがこの川の最大の特徴です。
新約的にこの川を理解するなら、それは主イエスがヨハネの福音書で言及された聖霊の川々に他なりません。