. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第45講
■ 今日の「井戸掘り」
「どうして、わざわいの日に、恐れなければならないのか。私を取り囲んで中傷する者の悪意を。」 詩篇49:1〜20
■ 井戸を掘りましょう:
人生を考えるとき、どのようなスパンで考えるかによって、その判断は大きく変わります。この詩篇の作者の視点は、永遠的です。地上では「わざわいの日」が襲い掛かってくることがあります。しかし、その中にあって恐れないのは、地上生涯を越えた永遠へと、作者の眼が向いているからです。
作者にとって人生における最大の価値は、己の「たましい」であって、そのたましいを贖うことです。それは地上の富をいくら積み上げてもできないことです。それほど人の価値は高価なのです。「たましいの贖い代は、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。」
また、地上の栄華は何時までも続くものではありません。愚か者は「その住まいは代々にまで及ぶと思」っているかもしれませんが、事実はそうではないのです。「人は滅びうせる獣に等しい」のです。その地上生涯は、瞬く間に終わりを迎えます。そして、そのときが来ると「死が彼らの羊飼いとなる」のです。
しかし、永遠を意識して、神とともに人生を歩む時、地上生涯では報いられないかもそれませんが、「しかし、神は」依り頼む人々の「たましいをよみの手から買い戻」されるのです。それは「神が、、、受け入れてくださ」ったからです。