. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第46講
■ 今日の「井戸掘り」
「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。」 詩篇49:1〜20A
■ 井戸を掘りましょう:
進化論では、人は、進化の程度において進んでいるだけで、本質的には動物と同じであると言う見解をとります。ヒンズー教や仏教でも、人のいのちと、その他の命との間に大きな差異を見ません。ヒンズー教では、すべての存在はブラーマの分身としか見ないからです。一つのいのちの、異なった現われにしか過ぎないのです。
しかし、聖書は、人とそのほかの生き物との間には、大きな差異があることを教えています。人のみが「神の似像に創造されたからです。」神の御姿を映しているのは、人と言う存在だけで、その意味で、人は他の生き物とは異なるユニークな存在です。
人がそのような「栄華の中にあっても」、もし、その事実を「悟」らなければ、それは滅びうせる獣と同様になってしまいます。しかし、人には永遠を想う思いが授けられていて、人は、地上生涯を越えて、死の向こう側を思い見ることをします。地上生涯の在り方だけでは、人のいのちは測れないのです。