. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第49講
■ 今日の「井戸掘り」

    「しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声に心を留められた。ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。」                   詩篇66:1〜20A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この詩篇に言い表されている賛美の理由は、神が大いなるみわざをなしてくださったということとともに、祈りに答えてくださったという、一層身近な理由によります。「確かに、神は、私の祈りの声を心に留められた。」

   この詩篇の作者は、きよい生涯が祈りを受け入れていただくのに必要であることを意識しています。「もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。」しかし他方では、神が聞き入れてくださったのは、自分のいさおしの故ではなく、恵みによるのだと言うことも自覚しています。「神は、、、御恵みを私から取り去られなかった。」

   この二つの真理のバランスを保っていることが大切です。ある人は、主の恵みのみを強調してを、アンティノミアン主義、すなわち、自分がどうあっても、主は恵みのゆえにすべてを受け入れてくださるという誤解、に走ります。自分がどのようなことをしていても、主は恵みのゆえにすべてを受け入れてくださると考えています。ある人は、その逆に、自分のきよい生き方に重点を置いて、律法主義に入り込んでしまうのです。こんなに一生懸命に励んでいるのだから、主は聞いてくださるに相違ない、という異教的・勤行的な考え方を持つのです。

   しかし、主の道は、そのどちらでもありません。その中間にあるのです。すべては恵みです。しかし、それと同時に、祈りが聞かれるか、受け入れられるかは、私たちの側にきよい生涯があるかどうかに掛かっています。

高知県・越知町の大樽の滝


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