. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第50講
■ 今日の「井戸掘り」

    「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かせてくださるように。」                   詩篇67:1〜7 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この詩篇の冒頭には、3つの祈りのことばが記されています。まず「神が私たちをあわれみ、、、」です。日本では、仏教的な「あわれみ」の概念が先に、日本人の心に入ってしまったので、聖書的な「あわれみ」の概念を理解することが難しくなっています。聖書では「あわれみ」は、共感と切り離すことができません。「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣く」こと、これがあわれみの情の根底にあります。神は、苦しむ者とともに苦しんでくださる神です。

   第二の祈りのことばは、神が私たちを「祝福し、、、」です。マタイによる福音書5章冒頭にある「幸いです」は、本来の意味は「祝福された」で、英語では「Happy」ではなく「Blessed」です。真の幸福は、物質的な豊かさや、良い環境にあるのではなく、創造主である神との関係にあります。主である神が祝福してくださるとき、人は真に幸せであり得るのです。神の祝福なしには、人は幸せを味わい知ることができません。それですから、この詩篇の作者は、神が「祝福し、、、」と祈ります。

   第三の祈りは、神がその「御顔を私たちの上に照り輝かせてくださるように」と言う祈りです。神の祝福には、地上的な祝福と霊的・天的な祝福との両面があります。神が「御顔を照り輝かせてくださる」とは、その霊的・天的祝福の最たるものです。人にとって、これ以上の至福はありません。神のご嘉納の笑みをいつでも見ることのできる立場にあることこそ、平安、満足、喜びの最大の原因なのです。冬の日、太陽の光の中に立つ時、何ともいえない暖かみを肌に感じるように、神の御顔の光、その暖かさを感じることができることは、何と幸いなことでしょうか。詩篇の作者は、その幸せを求めて祈っています。

高知県・越知町の大樽の滝


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