. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第57講
■ 今日の「井戸掘り」

    「まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。」                   詩篇73:1〜28 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この詩篇の冒頭のことばは、理想と現実、神学と実践、とのギャップを述べています。神学では「神は心のきよい者たちに、いつくしみ深い」と教えられているのですが、現実は「私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みはすべるばかりだった」のです。そこに信仰者の苦しみがあります。

   この節に見る「しかし」と言う句は、疑問の「しかし」です。しかし、この詩篇を読み進んでゆくと、その「疑問のしかし」が、やがて「信仰のしかし」(22節)、そして「確信のしかし」(26節)へと移ってゆくのを学ぶことができます。

   いずれにしても、この詩篇の作者アサフは、物事をよく見、考える理性的な人物だったようです。信仰と理性とは、決して相対するものではありません。しばしば、それらが対立的に考えられるのは、その理性が、啓蒙主義的な理性で、神の存在を無視することに、人間の尊厳があるとする人本主義的な思想によって色づけられた理性の場合です。しかし、神がアダム・人に与えた真の理性は、決して信仰とは対立しないのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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