. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第59講
■ 今日の「井戸掘り」

    「しかし、私にとっては、神の近くにいることがしあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」                   詩篇73:1〜28B 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この詩篇の最後の節です。「しかし」で始まっていますが、この「しかし」は「祝福のしかし」と言えるでしょう。この節から三つのことを学ぶことができます。

   第一は「臨在の意識」です。「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです」。他の人にとっては、この世における繁栄・栄華が、幸せと思えるかもしれません。しかし、この詩篇の作者にとっては、幸せは、神の臨在の事実にあります。天地に満ち満ちておられる神の近くにいると言うことは、距離的な近さではありません。性質における近さで、神の近くにいることによって、神に似た者と変貌されることに幸いがあるのです。

   第二は「交わりの甘美さ」です。「しあわせです」と言い切ったことのうちに、そのことが証しされています。創造主である神との交わりは、概念的なものではなく実践的なものです。

   第三は「主の御助けの現実性」です。「私は、神なる主を私の避け所とし、、、」。もし、神の御助けが現実的なものでなかったなら、詩篇の作者は、神を避け所としては、認識しませんでしたでしょうし、また、依り頼むことはしなかったでしょう。しかし、神の御助けは確かなもので、主なる神は依り頼み甲斐のあるお方でした。

高知県・越知町の大樽の滝


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