. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第60講
■ 今日の「井戸掘り」
「神よ。なぜ、いつまでも拒み、あなたの牧場の羊に御怒りを燃やされるのですか。どうか思い起こしてください。昔あなたが買い取られた、あなたの会衆、あなたがご自分のものである部族として贖われた民を。」 詩篇74:1〜23
■ 井戸を掘りましょう:
イスラエルの民は「神が買い取られた民」・神の所有とされた会衆、でした。神学的には、神は、誰に、どのような代価を払われたのか、という問題がありますが、いずれにしても、神は、犠牲を払って、イスラエルをご自分のものとされたのでした。
新約のイスラエル、キリストの教会も同様に、神によって贖われた民によって構成されています。教会とは、その建物・礼拝堂ではなくて、そこにキリストの御名によって集う会衆のことなのです。彼らは、小羊の尊い血の代価によって買われた者たちです。彼らのためにこの上ない代価が支払われました。
神のよって買われ、神の所有となったイスラエルが、この作者の時代には、敵の手に陥っていました。作者は、その事実に神の御怒りを感じて「いつまでも拒み、、、御怒りを燃やされるのですか」と祈っているのです。試練の日々、苦しみの年月は、いつまで続くのでしょうか。
しかし、作者が問題としているのは、自分たちの苦しみではなく「いつまで、仇はそしるのでしょうか」との句(10節)に見られるように、神の御名がそしられていることへの申し訳なさと憤りなのです。神の御名が崇められますように。このことこそが作者の心の叫びです。