. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
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「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第64講
■ 今日の「井戸掘り」
「苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。」 詩篇77:1〜20
■ 井戸を掘りましょう:
まぜ、作者は慰められることを拒んだのでしょうか? 作者は安易な慰めを求めていないのです。昔日に見たような素晴らしい神の干渉を待ち望んでいるのでしょう。「私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した」、「私は、主のみわざを思い起こそう。私はあなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。」と言っています。
主が昔なさったようなみわざを、今行われていないので、作者は、主に拒まれているのでは、との思いに苦しんでいます。それで「主は、いつまで拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。主の恵みは永久に絶たれたのだろうか。」と嘆いているのです。
しかし、作者は「いと高き方の右の手が変ったこと」に気づきます。古と同じような形態でみわざがなされていなくても、依然として、主の御働きは今もなされていることを見るのです。「あなたは奇しいわざを行われる神、国々の民の中に御力を現される方です。」 作者にとって、また、私たちにとってなすべきことは、神の「みわざを、静かに考え」ることです。神の「なさったすべてのことに思いを巡ら」すことです。