. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ダビデ以外による詩篇」 に学ぶ : 第67講
■ 今日の「井戸掘り」

    「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてを書き立てられはしなかった。神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。」                   詩篇78:1〜72B 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   イスラエルの反逆、不信仰にもかかわらず、神が、その御怒りをことごとく注ぎだすことをされず、なお彼らを覚えて、彼らのために良きことをし続けてくださったのは、一つには、神ご自身の「あわれみ深い」と言うご性質によるものです。

   さらにこの節は、第二の理由として、神が、人とは肉にしかすぎず、儚い存在であることを知っておられたからだと教えています。「肉にしかすぎない」とは、ヨブ記34章15節によると、人が「息絶え、ちりに帰る」存在であることを言っています。冒頭の詩篇78篇39節の後半に、そのことが語られています。すなわち、ヘブル詩歌の特徴である平行法が用いられているのです。一行目に言われたことと同じ真理を、二行目は別の表現で言い表す文学的手法です。

   神は、ご自身のあわれみ深いご性質のゆえに、また、人が儚い存在である事実のゆえに、彼らに対して、怒り・憤りを全面的に注ぐことはなさいませんで、却って、彼らの咎を赦し、彼らを滅ぼすことをなさいませんでした。

   神は、今も、私たちひとりびとりに対して、かってイスラエルに示されたと同じ姿勢で臨んでいてくださいます。私たちがどのように不誠実であっても、なお、憐れみを施すことを忘れなさらないのです。

高知県・越知町の大樽の滝


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