■ 今日の「井戸掘り」■ 井戸を掘りましょう:
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」 ペテロの手紙4:8
パウロは、愛の章と呼ばれている箇所に「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」と書きました。ペテロも「何よりもまず、愛し合いなさい」と勧告します。
その理由としてペテロが述べているのは、パウロのように、愛が「一番すぐれている」からということではなく、「多くの罪をおおうから」と言う理由です。このように書くとき、ペテロは、或いは、あのガリラヤ湖畔での復活の主イエスとの出遭いを想い起こしていたのかもしれません。キリストの愛に触れて、赦されるはずのない裏切りの罪を赦されたときのことです。
愛は罪をおおうだけではなく、罪を止めます。真の愛に触れる時、人は、愛に感動され、その愛に反することを行うことを止めるようになるからです。愛されていることを知っている者は、その愛に応えようとするのです。その意味で愛は罪に打ち勝つための力です。ヨハネが「だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。、、、その人は神から生まれたので、罪を犯すことができないのです」と書くとき、能力的に「罪を犯すことができない」と言っているのではなく、父なる神、また、御子に対する愛のゆえに罪を犯すことができない、と教えているのです。愛は、人を罪から遠ざけ、聖い生涯を送るように後押しします。
更に、愛は他の人の罪行を忍びます。周囲の人が罪を犯していることから、さまざまな損害を蒙るときに、愛はそれを耐え忍ぶのです。愛は希望をもって、その人が神の愛を知るに至って変わるのを待ち望みます。愛は、信じ、また、望むのです。
