. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第99講
■ 今日の「井戸掘り」

   「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。」                                      ペテロの手紙4:7 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「万物の終わりが近づきました」―初代教会の時代にも教会歴史の中でも、クリスチャンたちは終末の近いことを意識してきました。その意識が、伝道・宣教への熱心さを生み出し、聖い生き方への動機づけとなりました。その意識が失われた時、教会は世俗化して行きました。否、世俗化したので、終末への関心が失われていったのかも知れません。現代は正に、そのような時代です。かって中田重冶師・内村鑑三師と、神学の全然異なるといってもいい、日本の教会の巨人たちは「再臨待望」と言う点で一致点を見出し、その運動をともにした時代がありましたが、それも遠い過去のこととなりました。現代は、クリスチャンより、この世の人々が、環境破壊とか、地球温暖化といった視点から「世の終わり」について語ることが多いようです。

   過去において、終末論はしばしば極端に走り、幾たびとなくキリストの再臨の特定の日を定めては、その通りには成就しなかったので、教会に混乱を招きました。それが現代教会が、終末に関して無関心ともいえる背景と言えますでしょう。しかし「万物の終わり」は近いのです。その時は決して遠ざかることはありません。時代が進めば進むほど、私たちに近づいてきています。ペテロは「ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい」と勧めます。また、8節以下の勧告が続きます。

   「祈りのために心を整え」ることが大切です。祈りは、赤ちゃんのお乳を求めて泣く鳴き声であり、クリスチャンにとっては自然の営みといわれます。それでいて祈りの世界は深く、その世界を学び、祈りにおいて上達する必要があります。赤ちゃんのようにただ泣く祈りを知るとともに、更に高度の祈りを身につけるために「心を整えて」から祈ることが大切なのです。「心を整え」るに際して最も大切なことは、祈りの聞き手である主である神を理解することです。神がいかなるお方であるかを心で把握したなら、祈りはもう半分以上終わった、と言われるのも故ないことではありません。「心を整え」るとともに大切なのが「身を慎」むことです。欲望のままに生きていたのでは、良い祈りは祈れません。祈りのことばを口にしても、それは空回りするだけです。「身を慎」んで、あらゆる行動において、主のみこころを求めていてこそ(4:2)祈りに力が伴うのです。

高知県・越知町の大樽の滝

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