. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第107講
■ 今日の「井戸掘り」

   「もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」             ペテロの手紙4:14 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ここにぺテロが書く幸いは、なんとこの世の幸いとは異なっていることでしょうか。非難を受けることが幸いだと言うのです。ただ、その非難は「キリストの名のために」でなければなりません。受ける非難が、次の節にペテロが書いているように、彼らの悪行の故であったなら、幸いでも、褒められたことでもありません。しかし、「キリストの名のために受ける非難」は、幸いの理由になるのです。

   ペテロは、その理由を「栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」と説明しています。御霊がその上に留まってくださると言うことは、その主である御霊の働きによって、キリストと同じ御像に変貌されることが意味されているからです。コリント人への第二の手紙3章17、18節には「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」とあります。

   更に、栄光の御霊の臨在は、信じる者たちの内的な力として、迫害に耐え抜く力をクリスチャンに与えるからです。初代教会の時代、迫害者であるローマ人たちが驚くほど、クリスチャンたちは、女性や子どもたちを含めて、過酷な迫害・苦難に耐え抜きました。彼らの上に留まっていた力の御霊が、彼らに勇気を与え、どのような誹謗、どのような肉体的な苦痛にも耐える力を彼らに与えたからでした。

   その迫害を耐え抜き、永遠のいのちの希望に生きるクリスチャンの姿こそ、ローマ人たちを惹きつけ、やがては、神の不思議な摂理・働きのもとに、彼らが自分たちの国教として受け入れるようになる原動力だったのです。

高知県・越知町の大樽の滝

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