■ 今日の「井戸掘り」■ 井戸を掘りましょう:
「あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、悪を行う者、みだりに他人に干渉する者として苦しみを受けるようなことがあってはなりません。」 ペテロの手紙4:15
クリスチャンであることは悪と一線を画して生活することであるといっても過言ではありません。美しの門でなされた奇跡の後のペテロの説教には「悪から立ち返る」と言う表現と「神に立ち返る」と言う表現が見出されます。この二つの方向性を心に留めておくことは大切です。一つには「悪から」であり、もう一つには「神に」です。このどちらか一方が欠けると救いが成立しなくなります。「神に立ち返って」神の所有となった人々は「悪から」離れた人々です。
当時、一般社会では「人殺し」、「盗み」、もろもろの「悪を行う」ことなどが頻繁に見られたようです。英語訳(NIV)では、この第三の者は「any other kind of criminal」とあって、日本語より限定的です。「criminal」は犯罪を意味します。日本語訳の「悪を行う者」には、道徳的な悪が含まれる余地がありますので、より広い概念でしょう。ここでは「人殺し」、「盗人」と並べる場合は「どのようなことでも犯罪者として」英語訳のように訳すほうが良いようです。
しかし、前記の三つに加えて「みだりに他人に干渉する者」が述べられていることは興味深いことです。「濫りに他人に干渉する者」は、英語訳(NIV)で見ると「meddler」で、「Meddler」とは「おせっかいな、余計な世話を焼く人」のことです。この関連からみれば「悪を行う者」は、日本語訳のように道徳的な悪をも含めた概念と理解したほうが良いでしょう。すなわち、犯罪と言える悪が二つ、道徳的な悪が二つ、それぞれ代表的なものが挙げられていると考えられます。
クリスチャンは、このようなことのゆえに苦しむことがあってはならないと、ペテロは勧めているのです。
