. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第11講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「神はご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、、、。」        ペテロの手紙1:3B 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   美しの門のところで、ひとりの生まれながら足の不自由な男が癒されたとき、集まってきた群衆に、ペテロは「あなたがたは、、、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です」と説教しました。ここでは、イエス・キリストの復活は、父なる神のみ業として語られています。「神が、、、イエスを、、、よみがえらせ」たと語ったのです。

   しかし、ペテロはその手紙の中でキリストの復活に言及した時には、「イエス・キリストが、、、よみがえられた」と書いているのです。能動的です。どちらも真実でしょう。しかし、ペテロの説教の「いのちの君」と言う表現は、キリストの復活が、能動的であっても不思議でないことを示唆しています。ヨハネも良い羊飼いの章に「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。」と書いています。

   能動的に理解するにせよ、受動的と見るにしても、死者の中からの復活と言う出来事は、キリストに関してのユニークな出来事でした。パウロは、ローマ人への手紙の中で「死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方」として、イエスに言及しています。復活は、イエス。キリストが神の御子であられた証左なのです。

   キリストご自身「わたしは、よみがえりです。いのちです」と語られました。キリスト教が立つのも倒れるのも、この主イエスの復活と言う出来事に掛かっています。日本的な表現をすれば、復活は、キリスト教の大黒柱といえます。キリスト教が、ローマ世界を征服し、ローマ帝国の全域に広がったのも、迫害の中でも、死を恐れないで復活の希望に生きた初代のクリスチャンたちがいて、その存在がローマ軍兵士の間、キリスト教が急速に広まってゆく切っ掛けとなったからでした

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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