. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第118講
■ 今日の「井戸掘り」

   「そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。」             ペテロの手紙5:4 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   主イエスは、ご自身を「良い牧者」として語られましたが、ペテロは、ここに主を「大牧者」として紹介しています。正しくキリストは、羊飼いの中の羊飼い、至高の牧者であられます。

   そのお方がやがて「現れるとき」があるのです。教理では、終末論に属する「キリストの再臨」という主題の下に整理されている事柄です。他の聖書の箇所によると、キリストが再び現れなさる時には、王の王として、また、裁き主としての顕現であることが知られています。主イエスの牧者としての働きは、そのさばきの時が訪れる以前のことのようですが、ここにペテロはどうして「大牧者」として、キリストに言及しているのでしょうか。

   それまでの間、神の群れを牧するように立てられている伝道者たちは、大牧者の存在と模範を絶えず心に留めながら奉仕するようにとの意図からではないでしょうか。そうすれば、そのお方が裁き主として現れなさったとき、「しぼむことのない栄光の冠」を頂くことができるからです。オリンピック競技の勝利者に与えられる冠はしぼみ、やがて朽ちてしまう冠でした。しかし、そのとき、忠実に労した伝道者たちが受ける冠は「しぼむことのない冠」なのです。

高知県・越知町の大樽の滝

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