. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第119講
■ 今日の「井戸掘り」

   「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」             ペテロの手紙5:5 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   冒頭の「同じように」は、何を指しているのでしょうか。2節、3節の「長老たちに」言われたことがすべて「若い人たちに」も適応されていると考えるのが一番順当でしょう。すなわち、自主的に、清い心をもって、また、真実な姿勢で「神の群を牧する」ことであり、「割り当てられている人たちを支配するのではなく」、「群の模範となる」ことに対して「同じように」と言われていると理解できます。

   さて、「若い人たち」には、それらに加えて「長老たちに従いなさい」と言う勧告が付け加えられています。どの世界でも、若い人たちが、経験豊かな年配者に従うと言うのは当たり前のことです。そこで必要とされているのが謙遜と言う美徳です。自己主張をやめて、他の人の忠告に耳を傾ける姿勢です。

   「謙遜を身につけなさい」。“謙遜は意識した時に謙遜でなくなる”としばしば言われますが、聖書的な謙遜の概念は、決してそうではありません。主イエスが、自らに関して「わたしは心優しく、へりくだっているから、、、」と言われたことを思い起こします。それでいて、主イエスは最もへりくだったお方でした。キリスト教的な謙遜は、TPOを考えて衣服を纏うように、意識的に「身に着ける」べき特性なのです。

高知県・越知町の大樽の滝

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