. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第122講
■ 今日の「井戸掘り」

   「身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」             ペテロの手紙5:8 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   若い人たちへのペテロの3番めの勧告は「身を慎み、目を覚ましていなさい」ということです。目を覚ましてアラート(どのような事態にも備えられている状態)であるというのは、クリスチャンにとってあるべき基本的な姿です。しかし、その前に「身を慎みなさい」と言われています。英語(NIV)訳では「Be Self-controlled」となっています。「自からを律する」ようにとの意味です。

   若い人々にとって一番難しいのが、この自律という姿勢であって、若い人々は、感情のまま、欲望のままに振舞いがちです。ヤコブは、舌をコントロールすることの難しさについて書いています。

   ペテロは、若い人々にこのように勧める理由を、悪魔(サタン)の活動と結び付けています。現代人は、サタンといった霊の世界の存在を中々信じようとしません。しかし、聖書には、サタンも天の御使いも頻繁に言及されています。これらは目には見えませんが、現実的な霊的存在なのです。

   近世に入って、人間の関心は大きく外の世界に向かって開けてゆきました。ローマ時代の地中海世界は、やがて環大西洋世界に広がり、近代になると、それも環太平洋世界へと拡大し、20世紀のいわゆるグローバルな世界が出現します。そして今では、人間の関心は、地球を越えて、宇宙へと広がり、宇宙ステーションが構築されるまでになりました。

   しかし、人類は、それとはうらはらに、上なる世界、また、内なる世界を見失って、サタンや天の御使いはおろか、神の存在さえも疑い、否定するような時代ななりました。また、心理学の発展にも関わらず自己の内側は、神秘に閉ざされたままです。自らを単なる物質的な存在としてしまったために、その霊的なダイメンションの深みに気づいていません。

   人間を含めたこの世界は、目に見える世界だけではなく、霊の世界であることを頷き知ることは幸いです。

高知県・越知町の大樽の滝

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