. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第124講
■ 今日の「井戸掘り」

   「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。」             ペテロの手紙5:9 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   使徒パウロが、エペソ人への手紙に列記している神の武具の一つに「信仰の大盾」があります(エペソ6:16)。サタンに対抗するための必須の武具です。主イエスの恵みに依り頼む信仰のみが、私たちクリスチャンを、左端の攻撃から守ってくれるのです。信仰の大盾を手離した途端、サタンの放った火矢が雨のように降り注いでくることになるでしょう。

   一般に“攻撃は最大の防御である”と言われていますが、信仰をもって、サタンが放つ火矢を防いでいるだけでは勝利に結びつきません。ペテロがここに勧めているように「悪魔に立ち向かう」必要もあります。主イエスのように「サタンよ。退け」と命じることもまた、大切なことです。サタンがどのように強大な力を持っていたとしても、それによって怯んではなりません。既に勝利を得られた主イエスの御力によってサタンと対決することが、サタンからの攻撃をかわす道なのです。

   ペテロは、読者のクリスチャンたちが今通過しつつある苦難を、サタンの働きと結びつけているかのようです。「世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです」といっています。すなわち、読者が経験した苦しみも、兄弟たちが通過した苦難も、同じようにサタンに起因しているとの考えが根底に見られます。

   神の御許しの下にではありますが、すべての苦しみは、直接的、間接的に、サタンの働きによるものです。神は、私たち、人の幸せをこの上なく願っておられますが、サタンは、それとは逆に、人の不幸を願い、人に苦しみをもたらすために画策しているのだからです。

高知県・越知町の大樽の滝

Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる