. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第126講
■ 今日の「井戸掘り」

   「どうか、神の支配が世々限りなくありますように。アーメン。」             ペテロの手紙5:11 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   手紙の締め括りの頌栄です。ぺテロ初め、初代のクリスチャンたちは、神が、彼らに臨んだ苦難を含めて、すべてを支配しておられることを堅く信じていました。ですから、彼らは、神に委ね、神の恵みの干渉を待ち望んだのです。

   神の支配は、摂理と言う形で、私たち人間の日常生活に関わって来ます。「摂理」とは、賢く、また、恵みの富んだ神の配剤のことです。クリスチャン生涯に起こり来るもろもろのことどもを、神はすべて御手に収めて、最善の時、最善の方法で、ことを運んでおられることを頷く信仰を表明しています。

   それですから、例え苦難であっても、それが神の子らの益となるための神の配剤によるものであることを頷く時、それを受け止め、耐え忍ぶことができるのです。

クリスチャンは、自分の生涯を支配しているものが、過去の業・カルマであったり、また、如何ともしがたい運命であったり、また、偶然であるとは思っていません。そうではなく、愛の神の摂理・支配が、そこにあることを頷き、そのことに安んずるのです。

高知県・越知町の大樽の滝

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