. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第13講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」        ペテロの手紙1:3D 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   この節に、ペテロは「生ける望み」は、私たちが「新しく生まれ」ることによって持つようになるクリスチャンの望みだと書いています。23節には「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない神のことばによるのです」と書いています。また、2章には「生まれたばかりの乳飲み子のように」という句もあります。

   私たちの肉体の誕生が、男性の精子が女性の卵子と結びつくことによってもたらされるように、霊の新しい誕生は、神のことばによってもたらされるのです。前者は「朽ちる種」といわれ、後者は「朽ちない種」だと言われています。そして、それは「生ける、いつまでも変わることのない、神のことば」であると言われています。

   御霊による私たちの霊の誕生は、神学では「新生」と表現されていますが、キリストを信じる信仰によって罪を赦される経験と同時的と理解されています。双方とも、信仰の結果だからです。また「新しく生まれ」た者は、天の家族に、子として迎えられるわけで、「赦罪」、「新生」、「子とされること(成子)」、そして「初時的聖化」は、「たましいの救い」・第一の救いの諸面として整理されています。

   この「子とされること(成子)」の御業が、次の節の「天に蓄えられている資産を受け継ぐ」と言う思想と深く関わっているのです。それは次回に展開することにして、今回は「新しく生まれ」ると言う思想に留まって思い巡らしましょう。

   ある人は、新年を迎えたということで、自分の生活に何か新しいことが始まるかのように錯覚して、新しい年の年頭に立って希望を新しくします。しかし、年が変わっても何も変わりません。ある人は、環境を変え、仕事を変え、友人を変え、、、と身近ないろいろなものを変えることによって、新しさを実現しようとします。しかし、「新しく生まれ」るという霊的な刷新を経験しないかぎり、すべての新しさに向けての努力は空しく終わります。人は、新しさを生み出すことができないのです。「日の下に新しいものは一つもない」と伝道者の書に書かれています。キリストを信じる信仰を通して、神の御霊が心に働き、私たちのたましいを新しくするときだけ、私たちは真の新しさを経験できます。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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