■ 今日の「井戸掘り」
「また、朽ちることも汚れることも、消え行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。」 ペテロの手紙1:4
■ 井戸を掘りましょう:
この地上にあっても、資産は、子としての立場があってはじめて受け継ぐことのできるものです。他人は資産相続の権利を有していません。私たちは「新しく生まれ」ることによって、子として、神の家族へと迎えられるのです。子とされたので、資産への権利が生まれました。そしてその資産とは、地上の何かではなく、「天にたくわえられている」「朽ちることも汚れることも、消え行くこともない資産」なのです。パウロは「血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません」と書いています(Tコリント15:50)。
神が、私たち信じる者たちのために天に備えてくださっているものが、どのようなものなのかは詳しくは分りません。しかし、「朽ちることも汚れることも、消え行くこともない資産」とありますから、素晴らしい嗣業であることには違いありませんでしょう。
パウロは、エペソのクリスチャンたちに「この方にあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました」と書き、天の朽ちない資産を受け継ぐのは、「この方にあって」、すなわち、キリストにあってであることを教えています。ペテロは更に詳しく「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって」であると書き記しているのです。パウロのエペソ教会への手紙に更に「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」とも書いていますが、キリストはよみがえり、その50日目に天に上り、御父の右に座し、御父から聖霊を受けて、御霊を、あのペンテコステの日に教会・最初の弟子たちに注がれました(使徒の働き2:33)。保証としての御霊を注がれたのです。
「資産を受け継ぐ」、すなわち「御国を受け継ぐ」のですが、その「御国」は、パウロによると「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜び」にあります。これらこそ神の子たち・クリスチャンのかけがえのない嗣業なのです。「平和と聖霊による喜び」は、何となく理解できますが、この中で一番難解なのが「義」ではなでしょうか。いずれ「義」によって、何が意味されているか書かなけれならないと思っています。
■ キリスト、ペテロの足を洗う