. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第15講
■ 今日の「井戸掘り」

   「あなたがたは信仰により、神の助けによって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いを頂くのです。」                 ペテロの手紙1:5 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   カルヴァン主義の要点を表すものとして「TULIP」という英語の頭文字が用いられています。この最後の「P」は、「永久保全」と訳されている語で、それは「一旦救われた人は、永遠に救われている」という主張です。この神による保全は、他の四つ同様、無条件とされています。

   しかし、ペテロはこの節に、神の子らが守られるのは「信仰によって」であることを明らかに教えています。神のみ守りは、決して無条件ではなく、私たちの信仰に条件付けられているのです。この節で「あなたがたの信仰により」と言う句が、「神の助けによって」より、日本語訳では先に来ていることは決して意味のないことではありません。信仰者が守られるのは「神の助けによって」ですが、その神の助けは、私たちの「信仰によって」、私たちのものとされるのです。カルヴァン主義は、神の絶対主権をあまりにも強調する余り、救いの教理に関しても、聖霊なる神の御業と私たちの信仰とのバランスを見失っています。

   ウエスレアン・アルミニアン主義は、元来、カルヴァン主義の立場に立つ神学者、ヤコブ・アルミニウスが、カルヴァン主義への批判を論駁しようと学んでいるうちに、その過ちに気づいて、カルヴァン主義の「TULIP」に対して、J・アルミニュースの5ポイントとして、アルミニアン主義を打ち出したものだけに、その論理がより健全のような感じがします。ドルトの会議は、アルミニアン主義を異端として断罪・排斥しましたが、それだからと言って、ウエスレアン・アルミニアン主義が異端なのではありません。聖書のこの聖句のような箇所を学べばはっきりすることです。神のみ助けに重点が置かれているのですから、神人共同説と言ってよいのかどうかわかりませんが、信仰者が守られるために、神の助けは当然のこととして教えるとともに、人の果たさなければならない役割もキチンと教えています。それが信仰です。ペテロも同様に教えています。

   信仰によって条件づけられた神のみ守りについて語ると、「永久保全」を主張する陣営から、何かそれが不確かなことのように批判されますが、決して不確かなものではありません。神のみ守りはいつでもそこにあるのです。窓を開ければ、太陽の暖かみが、窓を通して直ちに部屋に入ってくるのと同様に、信仰の窓を開けば、神のみ助けは、直ちにその人のものになるのです。それはいつでも「そこにある助け」(詩篇46:1)です。ユダは「あなたがたを、つまづかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に」(ユダ24節)で始まる頌栄をもって、その手紙の締め括っています。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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