■ 今日の「井戸掘り」
「あなたがたは信仰により、神の助けによって守られており、終わりのときに現されるように用意されている救いを頂くのです。」 ペテロの手紙1:5A
■ 井戸を掘りましょう:
ペテロの手紙では、キリストの救いは、少なくとも2段階であるように教えられていることは、既に目に留めました。すなわち、「たましいの救い」(9節)と「終わりのときに現される、、、救い」(5節)です。先ず、第一の「たましいの救い」に関しては、22節に「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったので、、、」とされています。過去の罪の行為から発生した罪の咎めからたましいを潔めたのです。キリストを信じる信仰によって、良心の呵責から解放されたのです。行った悪しきことから生じた罪科が赦されたのです。それはまた、新しく生まれる経験でもあると言われています(23節)。
第二の段階としての「終わりのときに現されるように用意されている救い」とは、それでは、どのような救いなのでしょうか。天に蓄えられている資産(4節)を、いよいよ手にすることと関わっている救いです。「天に蓄えられている資産」とは、一言で表現すると「御国」が意味するすべてです。信じた者は「御国」を資産として相続するのです。神の子たちは、御国の王子・王女とされるのです。勿論、その長子は主イエスです。
ペテロの手紙を受け取ったクリスチャンたちは、この世にあっては迫害によって散らされて、故郷さえ失った人々でした。しかし、やがての時、キリストが再び現れるとき、地上で失ったすべて、否、それ以上のものを御国の民として受けるように神によって守られていたのです。日本語では「用意されている救い」と訳されていますが、英語の訳(NIV)では「kept in heaven(保たれている)」となっています。天の資産が、神によって保たれているように、彼ら自身も、苦難の満ちた地上にあって、神の助けによって保たれ、やがての日、朽ちることの汚れることもない天の資産を手にするのです。
「終わりのとき」に。そうです。キリストが再び来られ、王として全世界を正義をもって統べ治め、すべての悪を裁かれ、最早、悪の勢力が、実現した神の国にあっては、暗躍しなくなるときに、です。そのとき、世界、現在の世界の秩序、人間社会のさまざまな機構も、自然界のさまざまな様子も、今の世界とは全く変えられて、新天新地が出現するそのときに、です。人類は、知識の拡大と技術革新とによって、この地上にユートピアを自らの手で築こうとして努力してきました。そうした努力は意味のないものとは思いません。そのお蔭で、少なくとも、地上にあっては、私たちは多くを享受してきたのですから、、、。しかし、人間の知識、技術革新には、どのように努力しても越えられない限界があります。神の介入によって、現在の世のすべてが変えられ、超自然的な聖霊の働きによって、新しい天、新しい地が出現するまでは、人間の問題の真の解決は地上には訪れてきません。キリストが再び来られることが、現在の自然界、人間界のすべてに終わりをもたらし、神によって新しいものが導入される時です。「終わりのとき」は確かに来ます。
■ キリスト、ペテロの足を洗う