. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第26講
■ 今日の「井戸掘り」

   「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みをひたすら待ち望みなさい。」              ペテロの手紙1:13 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   すべての行動は、心のあり方によって支配されます。ですから、先ず「心を引き締め」と書かれています。この句は、NIV訳では「Prepare your minds for action;」となっています。行動に向けて心を準備することです。

   第二に、「身を慎み」とありますが、これは自制です。ガラテヤ人への手紙によると「自制」は、御霊の実の一つとされています。一生懸命さだけで、自らを律することは難しいことです。しかし、聖霊が私たちのからだを支配してくださるとき、自制が可能となります。

   最後に、「待ち望みなさい」と書かれています。先に言及した英語訳では「Set your hope、、、」となっています。希望と信仰を、与えられた恵みに結びつけて、動かさないことです。クリスチャン生涯は、初めから終わりまで、恵みによる生涯です。ガラテヤ人のクリスチャンのように、恵みで始まったのにいつの間にか、それを律法とすり違えてしまうようなことがあると、クリスチャン生涯が重苦しいものとなります。ペテロに言わせれば、そのようなクリスチャン生涯は「負いきれなかったくびき」となります。

   救いに先立って与えれる「先行的恩寵」、悔い改めて、信仰に立った時の「救いの恩寵」、終わりのときに用意されている恩寵、とさまざまですが、すべて恩寵・神の恵みです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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