. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第27講
■ 今日の「井戸掘り」

   「従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、、、、。」              ペテロの手紙1:14 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   以前は、不従順な子どもであり、エペソ人への手紙の表現を用いれば「御怒りを受けるべき子ら」(エペソ2:3)でした。しかし、今は「真理に従うことによって、たましいを清め」、「新しく生まれた」ので、「従順な子ども」となりました。

   以前の不従順な子どもであった時代の生き方を特徴づけるものは「無知」と「欲望」だったと言われています。今は「キリストの苦難と栄光」についての証しを告げ知らされていますが、以前は、彼らにその福音は届いていなかったのです。彼らは、キリストの贖いに関して無知の暗やみの中にいました。そして、彼らは無知だっただけではなく「さまざまな欲望に従」って、自分の思うままに生きてきたのです。そして、パウロに言わせれば「罪から来る報酬は死」であって、彼らは「罪過と罪の中に死んで」おり、この世に流されて生きていました。

   キリストに関するニュースが「福音」、佳い音信といわれる理由は、正に、ここにあります。キリストの苦難と栄光について告げ知らされ、それを知るに至ると、それを耳にした人々の生き方が変わるからです。勿論、そのような福音による変貌のために、信仰、単に頭だけの理解ではなく、真実にキリストの十字架の御業により頼むと言う意味での信仰が必要です。既に見たように「たましいの救い」は「執行の結果」なのです。

   さまざまな欲望に従った生き方に対照されているのが、次の節に言及されている「あらゆる行いにおいて聖なるものとされ」た生き方です。神学では「聖めの生涯」と言われています。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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