. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第38講
■ 今日の「井戸掘り」

   「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、、、」              ペテロの手紙2:1 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「あなたがた」、すなわち、朽ちない種から新しく生まれた人々は、新しい生き方をすることが求められています。古い以前のままの生き方ではいけないのです。以前には、悪意、ごまかし、偽善、ねたみ、悪口と言ったものが、その生き様を特徴づけていました。しかし、新しく生まれた今は、それら一切を捨て去ることが要求されています。

   しかし、人は、このようなことから、本当に自由にされるということがあるのでしょうか。これらを捨てたくても捨てられない、離れられない、と言うのが人ではないでしょうか。聖書の言う「肉」の支配の下にある人はそうです。しかし「あなたがた」と呼び掛けられている人々は、「肉」の支配の下にあるのではなく、御霊の支配のなかに入った人々です。ですから、自分の努力によってではなく、御霊の関与・働きによって、これらの悪を捨て去ることが可能とされた人々です。パウロは「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」と書いていますが、御霊によって生かされる時、御霊に導かれて進むことが可能とされ、それによって「肉の行い」から釈放され、御霊の実を徐々に実らせてゆくことが可能になるのです。

   そのためには、「純粋な、みことばの乳を慕い求め」て、みことばによる生涯を始めなければならないのです。ジャマイカで出遭ったひとりの宣教師は、そのクラスで「聖書を読みなさい(READ)」と語り、聖書を読むに当たって、「everently(敬虔な思いで)」、「arnestly(熱心に)」、「ttentively(注意深く)」、そして「aily(毎日)」という姿勢を保つのです。とにかく聖書を「READ(読みなさい)」と教えてくれました。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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