. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第49講
■ 今日の「井戸掘り」

   「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」                         ペテロの手紙2:9A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   さて、当初の読者が、そして、クリスチャン・教会が、そのような驚くべき恵みの立場に置かれた神のご目的・意図はなんだったのでしょうか。それは、クリスチャンを「やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、」彼らが「宣べ伝えるためなの」でした。ここに、もうひとつ、クリスチャンが導きいれられた恵みの立場が言及されています。すなわち、神御自身の「驚くべき光の中」にあるという立場です。

   クリスチャンは、かっては「やみの中」にいました。しかし、神は、彼らをそこから引き出して、「ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった」のです。イザヤが「太陽がもうあなたがたの光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである」と予言したことが、今成就したのです。

   それはクリスチャンが、神の「すばらしいみわざを宣べ伝えるため」でした。すべてのクリスチャンは、たとえ、国外に出ることがなくても、それぞれが住む地域地域で宣教師としての使命を果たすよう、宣教の使命を与えられています。クリスチャンは、広い意味で、すべて宣教師でなければならないのです。主イエスは「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」(ヨハネ8:12)と語られましたが、クリスチャンは「いのちの光を持つ」者として、この世にあって「いのちのことばをしっかり握って、、、世の光として輝く」のです(ピリピ2:16)

   宣教は、必ずしも、国外でなすものとは限りません。また、みことばを説教することによって宣べ伝えるのではないかもしれません。いわゆる説教をなくても、日々のクリスチャンらしい生活・生き様を通して宣べ伝えることができ、そのほうがより大切です。ことばによる宣教を支えるものだからです。

高知県・越知町の大樽の滝


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