. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第51講
■ 今日の「井戸掘り」

   「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」                         ペテロの手紙2:11 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   回心がもたらした「以前」と「今」の相違を、単に立場上のこととしてしまわないで、実生活上においても「以前」と一線を画するために、ペテロは「たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけ」るように勧めます。

   「たましいに戦いをいどむ肉の欲」は、肉体と密接に結びついてはいますが、肉体に備わっている本能的な欲望そのものではありません。以前にも解説したように、「肉」とは、神を離れた人間、また、そのような存在としての生き様を指しています。「肉」は、肉体を通して、その人に働きかけます。それで、しばしば肉体そのものと混同されることが多いのです。しかし、肉体も、それがもつ自然の本能も悪いもの、また、「遠ざける」べきものではありません。

   「遠ざける」べきことは、「肉の欲」、すなわち、神から離れ、自己中心に生きる人の際限ない欲望であって、この「肉の欲」は、しばしば本能的な欲望を暴走させる力となります。肉体のもつ自然の、本能的な欲望が、「肉の欲」の虜にならないように注意しなければなりません。

   「愛する者たちよ」というこの節の冒頭のペテロの読者への呼び掛けは、ペテロが、さまざまな地域に「散って寄留している」クリスチャンたちを、如何に愛していたかを示しています。「愛」の対語は、憎しみではなく「無関心」であると言われますが、ペテロは彼らを愛するがゆえに、彼らのの生涯に、その祝福に関心を持って、彼らの益のために書きにくいことも、時として書き送るのです。

高知県・越知町の大樽の滝


Copyright2004 PZH
Allrights reserved. 許可なく転載を禁じます。

■ トップ・ページにもどる