. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第52講
■ 今日の「井戸掘り」

   「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」                         ペテロの手紙2:11A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ここでは、読者は「旅人であり寄留者であるあなたがた」と言われています。迫害によって故郷を離れ、散らされて、各地に寄留していたクリスチャンですから、「旅人・寄留者」であることに相違ありませんが、彼らが、生まれ故郷にそのまま留まっていたとしても、なお、彼らは「旅人であり、寄留者」なのです。彼らの国籍・市民権は、以前と異なって今は、神の国にあって、地上の何処にもなくなっているからです。

   彼らが、アブラハム同様、「出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会は」、或いは、あったかも知れません。しかし、「彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです」(ヘブル11:15、16)。それで地上では、何処にあっても、「旅人であり、寄留者で」した。天に国籍を持つ者ですから、地の物には固執しないのです。

   ヨハネは、その手紙に「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢など」と書きました。「肉の欲を遠ざける」ということは、目の欲、すなわち、目に留まって気に入ったものを何でも手に入れようとする欲望、暮らし向きの自慢なども遠ざけることでしょう。地上のものに捕らわれないで、天的な生き方をすることです。持ち物にではなく、霊的な祝福に目を留めることです。

   ペテロは、このような生き方を、戒律として「しなければならない」といって主張しているのではなく、彼らが自主的に、自らそれを選び取って、そこに生きるように「お勧めし」ているのです。ペテロは、既に晩年を迎えていて、年齢的に彼らより上でした。また、これまでの奉仕に鑑みても、勧めることのできる立場にいたのです。ペテロの勧めのことばは、なお続きます。

高知県・越知町の大樽の滝


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