. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第53講
■ 今日の「井戸掘り」

   「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行いを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。」                         ペテロの手紙2:12 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   ペテロは「何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、、、」と漠然と書いていますが、初代のクリスチャンたちは、兄弟姉妹と呼び合っていることから、それを誤解されて近親相姦を行っていると非難されました。また、聖餐式を理解できないで、人々は、クリスチャンが人肉を食べていると言いふらしました。あるクリスチャンが、平和主義に基づいて兵役につくことを拒否したことから、反国家主義的だと批判されました。更に、闘技場や遊興から遠ざかっていたので、反社会的だとも言われていました。キリストへの非難は、あらゆることへの非難となって、クリスチャンに降りかかってきたのです。

   そのような「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい」とペテロは書き送っています。ペテロが言う「りっぱに」とは、どのようなことが意味されていたのでしょうか。ペテロは、それを13節以下に展開してゆきます。すなわち、第一は、生きている社会の制度に忠実である姿勢です。クリスチャンは、決して反社会的でも、反国家的でもありません。信仰に反しないかぎり、社会の制度・慣習に従って生きるのです。クリスチャンに対する批判は、理由のない非難なのです。

   しかし、最近、マスコミで取り上げられているような、教会、また、教役者に関する醜聞は、ペテロが耳にしたら、どんなに驚くことでしょうか。また、悲しむでしょうか。それらの人々は「異邦人の中にあって、りっぱにふるまう」どころか、道徳的な異邦人でもしないようなことをしているのです。

   ペテロは、そのような事態を彼の時代の教会にも見ていたのでしょうか。第4章には「さばきが神の家から始まる時が来ているからです」と書いています。

高知県・越知町の大樽の滝


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