. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第58講
■ 今日の「井戸掘り」

   「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」                         ペテロの手紙2:17 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   すべての対人関係の基本は、尊敬にあることをこの聖句は教えています。「すべての人を敬いなさい。」敬うとは「互いに人を自分よりもすぐれた者と思う」こと(ピリピ2:3)です。人は、他人の短所、欠点に目を留めやすいのですが(マタイ7:3、4)、そうするのではなく、他人の長所、すぐれた点に目を留めることによって、尊敬の念が自然と湧いてきます。

   「すべての人を敬いなさい」についで、「兄弟たちを愛し」なさいと書かれています。すべての人とのよい関係を保ちつつ、クリスチャン同志の交わりを深めることが大切です。「兄弟たち」は、肉による兄弟たちではなく、信仰によって結ばれたキリストにあっての「兄弟たち」でしょう。

   そのような生き方が可能になるのは、唯一、「神を恐れ」て生きるときのみです。「神を恐れ」は、本来「畏れ」と書くべきです。神に対して、その裁きを恐れると言うよりも、神が神であるゆえに、かしこみ尊ぶことです。神を敬うことです。神に対しても、人に対して「敬う」と言う同じ姿勢が求められています。

   この節の最後に書かれていることは、「王を尊ぶ」ことですが、これは「神を畏れ」ることの、必然的な結果です。なぜなら、王などの国家における権力者の立場は、神によって、その権威を授けられて存在しているものだからです。正等に立てられている国家権力を尊ぶことは、神への畏れの具体的な表れと考えられています。

   クリスチャンが「敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすために」(Tテモテ2:2)は、社会の秩序が大切です。そのためにクリスチャンは、施政者のために祈り、また、彼らを尊んで、その統治する国の法律に従うのです。

高知県・越知町の大樽の滝

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