. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第59講
■ 今日の「井戸掘り」

   「しもべたちよ。尊敬の心を込めて主人に服従しなさい。善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい。」                         ペテロの手紙2:18 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「しもべたちよ」と言う呼びかけは、ペテロの手紙の読者であるクリスチャンの中に、社会的には、奴隷の立場の者たちがいたことを示しています。きっとピレモンの許に帰った逃亡奴隷オネシモのような人たちがいたのでしょう(ピレモンへの手紙を参照)。

   「尊敬の心を込めて」。ここにおいても、すべての人間関係の基本が尊敬の念にあることを語っています。尊敬の心の伴わない表面的な服従は、真の服従ではありません。尊敬の念が根底にあってこそ、従う意味があるのです。

   しかもペテロは、「善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても」と書き送ります。前者に対して尊敬の心を持ち、服従することは難しいことではありません。問題は、後者に対しても服従が求められていることです。何故そのようにしなければいけないのか、その理由が19節以下に述べられていますが、クリスチャン生涯の崇高さがここに見られます。神の恵み、また、助けなしには、クリスチャンとして生きるということは不可能です。

   それにしても、クリスチャンは奴隷制度を容認していると批判され、非難を受けるかもしれません。そのような批判・非難に対しては、アブラハム・リンカーンにせよ、18世紀に奴隷解放のために労したウイルバーフォースにしても、彼らは敬虔なクリスチャンだった、そして、彼らのクリスチャン信仰が、奴隷解放に向けて彼らを押し出したのだ、と言えば足りるでしょう。クリスチャンは、社会を、パンだねのように、内部から変革してゆくものですが、過激な社会革命家ではないと言うことです。

高知県・越知町の大樽の滝

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