. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第68講
■ 今日の「井戸掘り」

   「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」                       ペテロの手紙2:24A 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   「キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」アダムの堕罪以来、人が罹っている死に至る病、それは、生まれながら神に反逆すると言う病いです。近代のスピリットは、正に、人間の創造主である神からの自立・独立のスピリットでした。神や聖書を持ち出さなくても、人間は、自らの尊厳さをもって、自らを制することが出来、罪に打ち勝てるという傲慢な精神でした。しかし、人間が罹っていたのは、死に至る病で、その病から人は、自らを癒すことはできませんでした。

   いやしの力は唯一、キリストが十字架で成し遂げられた御業にのみあるのです。主イエスは、十字架で、私たちに代わって、罪となって死を味わってくださいました。このようにして、過去の反逆は赦され、また、そこで与えてくださったいのちは、信じる者たちの新しいいのちとなって、父なる神に背く心に代えて、神を畏れうやまう心をもたらしました。反逆・背信はいやされ、従うことが喜びと変わったのです。

   現代の神学では、「いやし」を恢復の業と捉えて、単に個人的な問題としてではなく、宇宙的な問題として理解しているようです。この世界は、パウロが書いているように(ローマ8:21、22)、アダムの原罪の影響を受け、「滅びの束縛」に縛られ呻き苦しんでいます。地球温暖化現象などは、まさに、その現れの一面です。「いやし」は、そのような宇宙全体の歪みからの回復の御業にかかわることと理解されているのです。「いやし」と言う語には、宇宙全体に関わる壮大なドラマが秘められています。

高知県・越知町の大樽の滝

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