. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第8講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。」                      ペテロの手紙1:1〜2G 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   日本人の手紙は、拝啓などという挨拶のことばで始まり、次に季節の挨拶を書き綴るのが常ですが、ギリシャ時代の手紙は、冒頭に、手紙の送り主の名、受取人、そして次に、挨拶のことばを書き送るのが常でした。ペテロの手紙もその形に従っていて「ペテロから、選ばれた人々へ」で始まり、2節の最後の句が、挨拶のことばとなっています。「どうか、恵みと平安が、あなたがの上にますますゆたかにされますように。」

   一般社会の常識に従いつつも、ペテロ初めパウロなど、新約聖書にみる手紙の書き手たちは、そこにクリスチャンとしての味わいを加味することを忘れてはいません。ギリシャの一般の人々は「喜び(ギリシャ語で『カーラ』」と言う語を挨拶に用いました。しかし、ペテロもパウロも「喜び」に代えて「恵み(ギリシャ語『カリス』」)を用いています。「平安」(ヘブル語『シャローム』)は、ヘブル人の間での挨拶のことばでした。当時のクリスチャンが有していた二つの文化背景を、これらの挨拶のことばは物語っています。

   パウロの手紙では「恵みと平安があなたがたの上にあるように」と、より簡潔な表現が用いられることが多いのですが、ペテロは「、、、ますます豊かにされますように」と書き送っています。恵みと平安が、すでに彼らにあることを頷いた上で、それらが「ますます豊かにされますように」というのです。クリスチャン生涯は豊かな生涯です。

   「恵みがますます豊かにされますように」−クリスチャン生涯の最大の特徴は「恵み」ということばで言い表されます。恵みとは、それに値いしない者に注がれた神の愛・慈愛・憐れみ・顧みのことです。「平安がますます豊かにされますように」−平安であるといった単なる感情以上のことが意味されています。クリスチャンが「平安」と言うとき、それは第一義的に、神との平和を意味しており、その神との和解がもたらす心の平安なのです。これらが「あなたがたの上にますます豊かにされますように」−これがペテロの手紙の冒頭の挨拶です。何と素晴らしい心のこもった挨拶でしょうか。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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