. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。
このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第9講
■ 今日の「井戸掘り」

 . . 「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。」        ペテロの手紙1:3 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   冒頭の挨拶に次ぐ3節には、「ほめたたえられますように」という頌栄が見出されます。パウロがエペソの教会に書き送った手紙でもそうでした。しかし、ペテロの手紙とパウロの手紙とでは、頌栄の理由がそれぞれ異なっています。

   ペテロが、なぜ「父なる神がほめたたえられますように」と書き綴っているのかは、次回見ることとして今回は、父なる神が、あらゆる賛美・頌栄にふさわしいお方であることに私たちの思いを集中しましょう。

   インマヌエル賛美歌の108番には「朝風静かに吹きて、小鳥も目覚むる時、清けき朝より清く浮かぶは、神の想い」と詠われています。朝、目覚めると同時に、神へと私たちの思いを結びつけて、創造主である神を、まず賛美できることほど幸いなことはありません。主である神は私たちの賛美にふさわしいお方です。

   しかし、人の心は何と異なった思いで満ち満ちていることでしょうか。朝、目覚めると同時に、今日の仕事のことが気になって、あれこれ思い悩むと言うことが多いのではないでしょうか。朝、目覚めると同時に、借金のことが思い起こされて、その支払いを思い煩う人の何と多いことでしょうか。どにょうなことが、朝一番の私たちの思いを占拠していることでしょう。

   賛美歌にあるように、朝一番に神を想い、神に賛美を捧げることができる生き方を身につけたいものです。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。」神を賛美するために、自分のことばが見出されようでしたら、賛美歌を次から次へと歌うことはどうでしょうか。賛美のうちに朝のデヴォーション(御前の営み)をもって、一日を始めることは幸いなことです。そして、満たされた思いをもって、一日の計画、なすべきことへと思いを向けてゆくのです。

■ キリスト、ペテロの足を洗う

高知県・越知町の大樽の滝   ☆印をクリックしてください


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