■ 今日の「井戸掘り」■ 井戸を掘りましょう:
「ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。」 ペテロの手紙3:16
ペテロはこの節で、クリスチャンが批判に対して自分の信仰を弁明する時の三つの態度を教えています。すなわち「優しく」、「慎み恐れて」、「正しい良心をもって」です。
先ず「優しく」ですが、相手を非難し、責めたのでは、相手の聞く耳を閉ざしてしまいます。それで「優しく」なのです。柔和は、御霊の実のひとつで、愛が微笑んで人に接している様といえましょう。
第2の「慎み恐れて」は、決して傲慢にならず、神に依り頼んで、その知恵を仰ぎ望みながらと言う姿勢です。自分自身に何か誇るところがあるのではなく、今あるのは恵みによると言う意識からでてくる姿勢です。
第3、そして、最後の姿勢は「正しい良心をもって」です。神のみことばである聖書の基準がないと、良心そのものは正しく機能しないことは既に書き記しました。だからといって、良心の働きを軽んじてはなりません。良心的であること、欺瞞的な策略を用いてまで、相手を説き伏せようとする姿勢は取らないことです。「正しい良心をもって」とは、すべての偽りを捨て、真実をもってと言うことであり、誤った動機を心に秘めることなくと言うことです。
このような正しい態度でなされた弁明は、効果があるとペテロは信じています。「そうすれば、、、」以下がそれを示しています。しかし、相手を説得するに当たって力を発揮するのは、弁明のことばそのものではなく、むしろ、その背後にあるクリスチャンの「正しい生き方」だということを忘れてはなりません。弁明のことばによって、彼らのキリストにある正しい生き方がスポット・ライトを浴びて、浮き上がって見えるようになり、また、その光によって、信仰者をののしった人々の生き方が闇から光へと引き出されるので、彼らは恥じ入るのです。
弁明をするに際して最も大切なことは、信仰者の日々の生活に、「キリストにある、、、正しい生き方」がなされているかということです。
