. . 聖書・「神のみことば」は、真理の尽きない泉です。深く掘れば掘るほど、豊かな甘い水を湧き出します。日本古来の井戸掘りの技術に「上総掘り」という方法があります。重たい鉄の管を何回も何回も地中に落とすことによって、徐々に井戸を掘り進んでゆく方法のようです。聖書を掘り下げるにも、上総掘りのように何回も何回も、同じ箇所を読むことが大切なのです。このページは、フィリップの「井戸掘り日記」」と名付けました。
「ペテロの手紙」 に学ぶ : 第90講
■ 今日の「井戸掘り」

   「そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。」                                      ペテロの手紙3:21 

  ■ 井戸を掘りましょう:

   聖書を解釈する時、その箇所にとどまらないで、聖書全体に目を配って、その光において解釈する必要があります。宗教改革の時代に確立された解釈の一原理で「聖書は聖書によって解釈されるべきである」とされます。

   21節のみを見ていますと「今あなたがたを救うバプテスマ」とあって、恰も、バプテスマが人を救うかのような印象をうけます。しかし、聖書の他の箇所によると、バプテスマは救いの経験と密接に結びついてはいますが、それが救いをもたらすとは教えられていません。救いはバプテスマに先立つ経験で、バプテスマは救いの告白・証しといえます。

   ノアを初め彼の家族が洪水を通して救われたのは、バプテスマの型だとペテロは書きます。ノアたちが「洪水を通して救われた」と書きましたが、彼らは、洪水によって救われたのではなく、神のことばに聴き従って箱舟を建造し、それに入ったので救われたのです。

   洪水は、箱舟の中の安全、その外の危険を分け隔てるものでした。バプテスマは、キリストの救いのよって、その羊の囲い、すなわち、真の教会の中に迎え入れられたことを証しするものと理解できるでしょう。

   ここでは、ペテロは「バプテスマは、正しい良心の神への誓いであ」ると書いています。

高知県・越知町の大樽の滝

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